普段の目線が高いからか、あるいはスケベなだけか分からないけども、
カメラを構える場所は決まって膝より下、或いは足元。
目線は蟻だとか、絶対に人が見えない場所から、
ファインダーを覗き込まず、全て勘に任せてパシャパシャ、と。
このカメラの唯一の利点は多重露光という機能が搭載されていることで、
2つ以上の風景をたった1つの写真にきっちり収められる。
先週は海へ行き、海水に足をつけながら小波を撮っていた。
寄せる波で1度、引き潮で1度、そしてもう1度寄せる波を撮る。
この時も当然、カメラは足元で、殆ど水平の状態から撮影。
改めて感謝させられるのは太陽で、陽光があるのと無いのでは、
モチベーションから完成度まで全てが光ひとつに左右される。
加えて素人の僕にとっては、それこそ天からの光。
また被写体にも拘りというか、やっぱり魅かれる被写体はある。
それはカップルだとか、夫婦、或いは友人とでもいいのだけど、
1人以上のものであって、幸せの香り、生命の証が滲み出る。
逆に雨の日であっても、悪くはない。
ファインダーを覗き込み、晴れている日に見る景色と雨の日に見る景色は間逆、
寧ろ対にもならない別物なんだなぁ、と気が付く事が多い。
雨は街の汚れを洗い流すというのは昔から言われている事だけども、
何より景色が素敵なのは雨上がりの日で、皆がゴキゲンなお天気、快晴。
銀の針に打たれ続けた草木はまた栄養をたくわえ伸び続け、
やや気分の滅入った人達も、この日は太陽を中心に1日を終える。
共通している事と言えば皆、上を向き、見ているこちらが清々しくなる。
写真を撮ることにどんな意味があるのか分からないし、
もうすぐこの土地を去るからと言って残しておきたい記憶も無い。
自分の撮る写真に自分が映ることもあり得ないし、
そんなものなら下らなすぎて写真なんて撮らないよ。
だからといって見せたい人がいるわけじゃあないし、
決して芸術家を気取りたいわけでもない。
と、考えはじめたって途方のない繰り返しになるので、
これ以上に詮索することはないけども、
ただ自分以外の誰かの眼で切り取った風景ってのは、
いい意味で予定を大きく狂わせてくれて、
だったらコイツを立派なパートナーに育て上げようと。
そうしていつかポストカードだとかに使えるくらい、
立派な写真を撮って、年賀状代わりに送りつけてやろうかと。
出来る事なら一人一人相手の顔を思い浮かべて、
たった1つの風景で相手を圧倒出来るくらいの、
移ろい行く人の心の景色を撮ってやるのだよ、いつか。